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東京地方裁判所 昭和54年(タ)212号 判決

本訴原告(反訴被告)

山田敬子こと

上村敬子

右訴訟代理人

伴廉三郎

本訴被告(反訴原告)

山田春樹

右訴訟代理人

中村敏夫

山近道宣

主文

(本訴について)

一  アメリカ合衆国カリフォルニア州ヨーロー郡上級裁判所が、原告山田春樹、被告山田敬子間の離婚請求事件(事件番号同裁判所三六五三九号)につき、昭和五三年四月二八日になした「原告と被告とを離婚する。」旨の判決は、日本においてその効力を有しないことを確認する。

(予備的反訴について)

二 反訴原告と反訴被告とを離婚する。

(訴訟費用について)

三 訴訟費用は、本訴反訴ともに、これを二分し、それぞれを各自の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(本訴)

一  原告(反訴被告、以下「原告」という。)

1 主文第一項と同旨

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告(反訴原告、以下「被告」という。)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(予備的反訴)

一  被告

1 主文第二項と同旨

2 訴訟費用は原告の負担とする。

二  原告

1 本案前の答弁

(一) 本件反訴を却下する。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

2 本案の答弁

(一) 被告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

第二  当事者の主張

(本訴)

一  請求原因

1 原告(昭和二三年七月六日生)と被告(昭和二一年八月一〇日生)は、昭和四九年七月三〇日、東京都東久留米市長に対し、婚姻の届出をして夫婦となつた。

2 しかるに、被告は、昭和五三年四月二八日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ヨーロー郡上級裁判所(以下、「本件上級裁判所」という。)において、「原告山田春樹(本件の被告)と被告山田敬子(本件の原告)とを離婚する。」という趣旨の判決(以下、「本件離婚判決」という。)を得て、右裁判はそのころ確定している。そして、被告は、同年九月二六日、広島県尾道市長に対し、本件離婚判決の謄本を提出して、戸籍上も原告と離婚した旨の登載を得た。

3 しかしながら、本件離婚判決は、次に述べる理由により、わが国においては効力を有しない。

(一) 本件離婚判決は、渉外離婚事件に関する裁判管轄分配の原則(最高裁判所昭和三九年三月二五日大法廷判決民集一八巻三号四八六頁参照)に照らし、カリフォルニア州の本件上級裁判所には裁判管轄権が存しないにもかかわらずこの点を無視してなされたもので、民訴法二〇〇条一号の要件を欠く。

(二) 原告は、本件上級裁判所から訴訟の開始に必要な呼出し若しくは命令を受けたことは全くないし、また、右裁判所における被告の離婚請求に応訴したこともないから、民訴法二〇〇条二号の要件を欠く。

(三) 本件離婚判決の準拠したカリフォルニア州法は離婚原因として「調整不能な不和」を挙げていて、我が民法七七〇条に比べ、極めて容易に離婚が認められるのみならず、いわゆる有責配偶者からの離婚請求も許容される外、調停前置主義も採用されていないなど手続も簡略である。そして、被告は、そのことを充分承知の上で、原告の応訴を困難ならしめる意図のもとにことさら日本の裁判所を避けて、カリフォルニア州の裁判所に提訴したものであつて、法廷地漁りの典型であるから、我が国における公序良俗に反し、民訴法二〇〇条三号の要件を欠く。

(四) 本件離婚判決は、前述のとおり、我が国の国際私法法規である法例一六条が指定する日本民法によらず、これによるよりも不利な裁判をなしたから、無効である(東京地方裁判所昭和三六年三月一五日判決、判例時報二五八号二四頁参照)。

よつて、原告は、民訴法二〇〇条一号ないし三号並びに右3(四)記載の法理に基づき、本件離婚判決が日本において効力を有しないことの確認を求める。

二  被告の認否

請求原因1・2の事実は認める。3の主張は争う。

三  被告の主張

1 本件離婚判決は、民訴法二〇〇条各号の要件を全て具備しており、我が国においてもその効力を承認すべきものである。

2 同条一号について

(一) 外国判決承認要件の一としての裁判管轄権の有無は、当該判決をなした裁判所が属する国における裁判管轄の分配規則に従つて判断すべきものであり、本件離婚判決については、アメリカ合衆国カリフォルニア州の管轄分配規則に基づいて判断することとなるところ、同州法においては、当事者の一方又は双方の住所地国の裁判所に管轄権があるものとされており、被告は、昭和五二年三月ころから六か月以上同州内に居住していたのであるから、原告に対する離婚訴訟を提起した同年九月末ころ、同州の裁判所が裁判管轄権を有していたことは明らかである。

(二) 仮に、右(一)の主張が理由のないものであるとしても、わが国の判例は、被告住所地主義を原則としつつ、原告が被告に遺棄された場合、被告が行方不明である場合、その他これに準ずる場合には、原告の住所地国にも裁判管轄権を認めている。しかして、後記反訴請求原因4のとおり、被告(本件の原告)は原告(本件の被告)を悪意で遺棄したものであるから、右判例の立場からみても、原告(本件の被告)の住所地たるカリフォルニアの本件上級裁判所は裁判管轄権を有していたものと認むべきである。

3 同条二号について

(一) 被告は、カリフォルニア州法の定めに従い、当事者となつていないアン・ランドルフから原告宛離婚申立書(訴状)及び呼出状を郵送し、原告は、昭和五二年一〇月五日、これを受領した。本件上級裁判所は、右受領を確認したうえで訴訟手続を進めたものである。

(二) さらに、昭和五三年一月二五日、本件上級裁判所から、「原告(本件の被告)と被告(本件の原告)とを離婚する。」旨の中間判決(Inter locutory judgment)がなされたとの通知を受けると、原告は、同月二七日、本件上級裁判所宛離婚意思のないことを手紙で申し送り、同月三一日付で折り返し同裁判所担当裁判官から、右中間判決の破棄を望むならば、カリフォルニア州の弁護士を依頼すること、もし知り合いの弁護士がいなければ同州弁護士会長に手紙で弁護士の紹介を依頼することを勧める手紙を受けとると、原告は、同年二月七日付の手紙で重ねて本件上級裁判所の離婚判決に従う意思のないことを同裁判所担当裁判官宛通知したものの、カルフォルニア州法で定められた防禦の手続を踏まなかつたため、同年四月二八日、最終判決としての本件離婚判決がなされた。

(三) 従つて、原告は、本件離婚判決に先立ち、訴訟の開始に必要な呼出しを受け、防禦の機会を十分与えられたものであり、民訴法二〇〇条二号の要件を具備している。

四  被告の主張に対する認否並びに原告の反論、

1 被告の主張1は争う。

同2のうち、被告が本件上級裁判所に離婚訴訟を提起した当時、被告がカリフォルニア州内に住所を有していたことは認めるが、原告が被告を悪意で遺棄したことは否認し、その余は争う。

前記最高裁判所の判例によれば、渉外離婚事件については、原則として被告住所地国の裁判所に、例外として原告が遺棄された場合、被告が行方不明の場合その他これに準ずる場合には原告住所地国の裁判所にも裁判管轄権を認めるべきものとされているところ、本件の被告が本件上級裁判所に離婚訴訟を提起した当時、同被告はカリフォルニア州内に住所を有していたが、本件の原告は日本に住所を有しており、しかも、本件の被告は、事前に渡航日時を本件の原告に知らせないまま、昭和五三年三月一八日突然単身で渡米し、以後カリフォルニア州に在住していたものであつて、本件の原告が本件の被告を悪意で遺棄した場合、その他これに準ずる場合に当たらないことが明らかであるから、本件離婚判決が、カリフォルニア州の本件上級裁判所に裁判管轄権の存しないまま、なされたことは明白である。

2 同3のうち(一)は否認する。もつとも、昭和五二年一〇月五日原告不在中、その母親上村ハナが、アン・ランドルフから原告に宛てた書留郵便物を受けとり、これを原告に手交したことはある。しかし、右郵便物中の離婚申立書(訴状)及び呼出状は英文であり、しかも、翻訳文が同封されていなかつたばかりか、裁判所職員ではない私人のアン・ランドルフからの郵送にかかるものであるから、民訴法二〇〇条二号の要件を具備しない。

同3の(二)は認め、(三)は争う。

(反訴)

一  被告の請求原因

1 被告は、昭和四九年春、東京大学大学院を卒業するとともに物理学の学位を取得し、同年九月からドイツ連邦共和国(以下、「西ドイツ」という。)に就職することも内定したが、単身で外国生活をすることに不安を感じ、是非とも日本女性と結婚したうえで西ドイツへ赴任したいと考えていたところ、同年六月ころ、津田塾大学卒業生で組織している結婚相談所を介して、当時同大学大学院英文科修士課程を了え津田スクール・オブ・ビジネスで英会話の教師をしていた原告と知り合い、西ドイツへの渡航日程に合わせて同国の査証を取得するため、実質的な婚姻生活のないまま同年七月三〇日婚姻の届出をなし、その後同年九月二五日に結婚式を挙げたのち、同月三〇日日本を発ち、新婚旅行を兼ねてヨーロッパに向つた。ロンドンなど各地を回つた後、同年一〇月五日西ドイツフライブルク市に到着し、同地で、翌昭和五〇年一月までドイツ語研修を受け、翌二月、アーヘン市の研究所に着任した。

2 原・被告は、結婚当初から西ドイツ滞在中を通じ、原告の非協力的態度のため、真に家庭の名に値する正常な関係を築くことができなかつた。

(一) 原告は、結婚当初から些細な事をとらえて執拗に被告を非難したため、原被告間には口論が絶えなかつた。例えば、

(1) 西ドイツへの渡航の準備で多忙を極めていた折、原告は、原告自身の旅券を取得するための費用六〇〇〇円を被告において負担するよう強い語調で被告に対し申し入れ、被告もこれを負担すること自体に異存はなかつたが、原告の右言動には少なからず困惑した。

(2) 西ドイツヘの渡航にあたり、西ドイツでは当初数か月間フライブルク市で語学研修をうけた後アーヘン市の研究所へ赴任する予定のため、被告の研究資料を原告の実家で保管したうえ、被告がアーヘン市に転居するころ、必要な研究資料を直接アーヘンへ郵送して欲しい旨、被告が依頼したところ、原告は当初これを強く拒否した。

(3) 新婚旅行の最初の訪問先ロンドンでの夜、ホテルにおいて、原告は、被告が羽田空港で荷物の一部を原告の父親に持つてもらつたことなど些細な事をあげ、被告を非難した。

(4) フライブルク市滞在中、原告もドイツ語学校で通学できるよう被告が手配していたところ、原告は、被告のためにドイツ語を勉強するのはいやだと言い続けた。

(5) 被告が、昭和五〇年秋ころ、姉に対し出産祝として一万円を原告に無断で送つたところ、原告は多額に過ぎると被告を非難した。

(6) 昭和四九年八月ころ、被告の母親が尾道市のデパートにおいて購入したダイヤモンドの婚約指輪を原告に贈つたが、原告は、被告と口論になる度に、右指輪は偽物だと被告を非難し、そのうえ、多くの知人に対しても同旨のことを言いふらして、被告とその母親を誹謗した。

(二) 原告は、被告に対して、三〇歳にもなつて定職を持たないと非難し、学者として無能だときめつけたばかりか、被告の学問上の先輩・友人やその家族の前でさえ、被告は無能だと誹謗してその名誉を著しく傷つけ、そのうえ、被告が研究活動を続けて行く上で必要な、学問上の知人との交際にも全く協力しなかつた。しかも、原告は、被告の親・兄弟を常々軽侮し、誹謗して被告を苦しめた。

(三) 原・被告は、結婚当初から当分の間子どもはもうけないことを合意していたが、避妊の方法をめぐつて争いが絶えず、昭和五〇年春原告が妊娠してしまい中絶手術を受けるに至つた後は、二人の間に性生活がなくなり、それ以後今日に至るまで、夫婦関係は全くない。

(四) 原告は、隣人とのもめごとを次々と引き起した。例えば、フライブルクに滞在中、語学学校の寮で掃除婦と、また、自動二輪車の購入先との間で諍を起した。その後アーヘンに移つて、ゲスト・ハウスに入居したが、同家は台所を他の一世帯と共用することになつていたところ、ユーゴスラビア人のヨセフォビッチ夫妻と共用の台所の後片づけに関して言い争いをしたのをはじめとして、ヨセフォビッチの退去後入居してきた同じくユーゴスラビア人のヤンカと、さらにヤンカの退去後入居したきたイラン人のダナイと次々争い、ダナイとの諍いの際には警察沙汰にまで発展した。

(五) 原告と被告は、何度か離婚の話合いをした。例えば、アーヘン滞在中の昭和五〇年春ころ、避妊の問題で口論となり離婚の約束をして、ボンの日本大使館に離婚の手続について問い合わせた。また、アーヘンの研究所で研究員として勤務する旨の契約の期限が昭和五一年八月三一日であつたにもかかわらず、次の就職先がなかなか決まらないことに業を煮やした原告は、失職したら離婚してやると被告を強迫していたところ、同年七月、原被告は友人の金子洋次郎をまじえて話し合い、離婚の合意に達して、それまでに貯えていた金銭を分配し、以後別室で就寝するようになつたこともある。しかし、離婚の法的な手続はとらないまま、惰性で共同生活を継続した。

3 昭和五一年八月、アーヘンの研究所との契約が同年一一月末まで延長されることがようやく決まり、同年秋にはカリフォルニア大学に講師として採用されることが内定したところ、原告はその態度を豹変し、被告との婚姻継続を望むようになつた。

4 ところが、アメリカ合衆国の査証を取得することが、種々の手違いから困難になり、一旦日本に帰ることとし、同年一二月五日まず原告が、翌昭和五二年二月五日被告がそれぞれ帰国して原告の肩書住所地の実家に寄寓するに至つた。

原告と被告は、実質的な婚姻生活のないまま原告の実家で起居を共にしていたところ、離婚の話が再び持ち上がり、話し合いを重ね、同年三月一五日被告の大学院時代の指導教授である藤山夫妻の仲介で離婚の合意に達した。しかし、同日、席を変えて喫茶店に二人だけで赴き、離婚届を作成する段になつて、被告がアメリカ合衆国の査証がおりカリフォルニア大学への就職も可能になつたことを話すと、原告は態度を豹変させ、離婚届用紙への署名を拒否した。同月一七日、アメリカへの出発を翌日に控え、被告は折から上京中の母親とともに原告の実家へ赴き、離婚の協議を求めたが、原告は、被告の出発が翌日であることを知りながら、話し合いすら拒否し、被告らを家から追い出して、被告を悪意で遺棄する意思を明確にした。そのため、被告は、離婚の手続をとることができないまま、翌一八日やむなく単身渡米した。

5 被告は、その後原告に手紙を送り、離婚に同意するよう求めたが、それに対して原告は、同年四月一七日付、五月三日付、七月八日付の三通の手紙で、生活費を送らなければ渡米する旨、強迫的言辞で生活費の送金を要求してきただけであつた。当時被告は生活費にも事欠く有様で、原告に送金する余裕など全くなかつた。また、原告は、以後全く被告に手紙を書かず、二人の間の音信は跡絶えた。

6 その後、同年九月末ころ、被告は、カリフォルニア州の本件上級裁判所に、原告を相手方として離婚訴訟を提起し、昭和五三年四月二八日、本件離婚判決がなされ、同年九月二六日、戸籍上も原告と被告とが離婚した旨の記載がなされるに至つた。

7 よつて、仮に本件離婚判決が我が国においてその効力を有しないとしても、原告は、昭和五二年三月一七日、被告を悪意で遺棄し、しかも、現在においては原被告間の婚姻関係は完全に破綻しているから、被告は、民法七七〇条一項二号及び五号に基づき、原告との離婚を求める。

二  請求原因に対する認否、並びに原告の主張

1 (本案前の主張)

(一) 被告の反訴請求は、本訴請求及びこれに対する防禦方法のいずれとも関連性を有しない。なぜならば、本訴請求は、本件離婚判決が民訴法二〇〇条一ないし三号の各要件を欠く等の理由により我が国において効力を有しないことの確認を求めるものであつて、右各要件の存否を直接の審理の対象にするものであるが、他方、反訴請求は、原告と被告との離婚を求めるものであり、離婚原因となるべき具体的事実の存否を審理の対象とするものであつて、両者は審理の対象において大きく異なるからである。

(二) 被告の反訴請求は、調停前置主義を定めた家事審判法一八条に違反しているところ、右違反は、専属管轄を定めた規定に違反する場合に準ずるものというべきである。

(三) よつて、前記二つの理由により、被告の反訴は民訴法二三九条の定める反訴要件を欠き、却下されるべきである。

2 (請求原因に対する認否、並びに本案の主張)

(一) 請求原因事実のうち、1・6を認め、2ないし5を否認する。7は争う。

(二) 原告と被告は、西ドイツ滞在中、口喧嘩くらいすることはあつても、その後すぐ仲良く二人そろつて各地へ旅行などしており、深刻な不和の状態にあつたわけではない。だからこそ、被告は、昭和五二年初め日本に帰つてから同年三月中旬アメリカに向けて出発するまでの間、原告の実家で原告と共に生活していたのである。

また、原告は、昭和五二年三月一七日の時点では、翌一八日被告がアメリカに向けて出発する予定になつていることを知らなかつたのであり、一七日被告と話し合つた際、離婚届に署名するつもりはなく、離婚の話をまたここでするならどうぞお引き取りくださいという趣旨のことを述べたにすぎず、被告らを追い出したことはなく、まして、「悪意の遺棄」にあたらないことも明白である。

従つて、民法七七〇条二号・五号に該当する事実は存在せず、被告の反訴請求は失当である。

三 被告の反論(本案前の主張に対して)

本件離婚判決が民訴法二〇〇条三号の要件を具備するか否かを判断するためには、右判決当時原・被告間に離婚原因が存在したか否かを判断しなければならないうえ、人訴法七条ないし九条は、離婚等の事件については同時に審理することを定め、人事関係訴訟は一挙に解決しようというのが立法趣旨であるから、被告の予備的反訴は民訴法二三九条の定める反訴要件を満たしている。なお、調停前置主義についても、これは絶対的なものではなく、本件の離婚予備的反訴請求事件は、家事審判法一八条二項但書に該当する。

第三 証拠〈省略〉

理由

一本件離婚判決の効力について

1民訴法二〇〇条一号の規定は、外国離婚判決にも適用され、当該外国判決が同条同号所定の要件を欠くときは、同判決は日本においてその効力を否定されると解すべきである。そして、右条項所定の裁判管轄権の有無は、同条項の文言及び外国判決承認制度の趣旨から考えると、当該判決の効力を承認するか否かを決する我が国の裁判所が渉外人事事件を実際に担当する際に適用する管轄分配規則に従うものと解するのが相当である。従つて、当該判決をなした裁判所の属する国、すなわち本件でいえばカリフォルニア州の管轄分配規則に従つて判断せよとの被告の主張は理由がない。

2 ところで、我が国には、渉外人事事件につき、管轄分配規則を定めた明文の規定は存しない。しかし、この点については、原則として当該離婚事件の被告住所地国の裁判所に裁判管轄権を認め、例外的に、原告が遺棄された場合、被告が行方不明である場合その他これに準ずべき場合には、原告の住所地国の裁判所にも管轄権を認めるという法原則(最高裁判所昭和三九年三月二五日大法廷判決、民集一八巻三号四八六頁参照。)に則るべきものと解するのが相当である。この点に関する被告の主張は採用することができない。

3 これを本件についてみるに、後記二、2認定の通り、本件離婚判決はアメリカ合衆国カリフォルニア州ヨーロー郡上級裁判所(本件上級裁判所)によつてなされ、当該離婚訴訟提起当時、当該事件の原告たる本件の被告は訴提起当時カリフォルニア州に住所を有していたものの、被告たる本件の原告は日本国内に在住していたことは明らかであり、後記二、2に認定した事実によれば、原告である本件の被告が遺棄された場合に該当しないことはもとより、カリフォルニア州の本件上級裁判所に裁判管轄権を認めなければ国際私法生活の公平主義に反すべき特段の事情は、これを認めることはできない。

4 よつて、本件離婚判決は、裁判管轄権を有しない本件上級裁判所によつてなされたもので、民訴法二〇〇条一号の要件を欠くから、その余の点につき判断するまでもなく、我が国においては無効であり、原告の本訴請求は理由がある。

二離婚反訴請求について

1  本案前の主張について

(一)  本訴である外国離婚判決無効確認の訴は、直接的には当該外国判決が民訴法二〇〇条各号の要件を具備しているか否かを審判の対象とするけれども、かかる各要件の存否について判断するためには、当該外国判決が離婚判決であるという特質から、当該婚姻関係の実体についての判断をよぎなくされ、本件についていえば、前記判示の通り、本件離婚判決が民訴法二〇〇条一号の要件を具備しているか否かを判断するために、右離婚訴訟提起時における原・被告の居住関係、それに至る経緯を認定したうえ、それが、国際私法生活における正義、公平の観点からみて、カリフォルニア州の本件上級裁判所に国際裁判管轄権を認めなければならない例外的事情に該るか否かについて検討することが不可欠である。しかも、本件外国離婚判決無効確認の訴は、婚姻関係の解消を目的とする離婚判決が我が国内において有効か否かを審判の対象とし、離婚の訴と同様、人の身分に関する事項を扱う点において、実体的真実の発見が公益的見地より強く要請されるから、人事訴訟手続法の特殊手続に従つて、審理、判断されるべきものと解するのが相当である。

従つて、本件の予備的反訴である離婚請求は、本訴である外国離婚判決無効確認請求と同種の訴訟手続に依つて審理され、かつまた、同一の婚姻関係の実体につき審理する点において、本訴請求と関連性を有するから、民訴法二二七条、二三九条の反訴要件をいずれも具備しているというべきである。

(二)  次に、予備的反訴である離婚請求は、本件離婚判決が我が国において無効であると確定された場合に備えて、同一当事者間の婚姻関係の解消を目的とするから、身分関係を可及的に安定させるという立法趣旨に鑑みて、人訴法七条一項を類推適用し、本訴と併合することができるものと解するのが相当である。

(三)  また、家事審判法一八条が規定する調停前置主義が、いかなる場合にも必ず調停手続を先行しなければならないとするものでないことは、同条二項但書により明らかである。

(四)  よつて、原告の本案前の主張は、いずれも理由がない。

2  本案について

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  被告(昭和二一年八月一〇日生)と原告(昭和二三年七月六日生)は、昭和四九年七月三〇日、東京都東久留米市長に対し、婚姻の届出をして夫婦となつた。

(二)  被告は、広島の出身で、東京工業大学を卒業後、東京大学大学院に進学し、昭和四九年春には物理学の学位を取得した。他方、原告は、津田塾大学、同大学大学院英文科修士課程を卒業し、昭和四九年当時は、津田スクール・オブ・ビジネスに英会話の教師として勤務していた。

(三)  被告は、昭和四九年五月はじめころ、アレキサンダー・フォン・フンボルト財団の奨学金を得て、西ドイツの大学に研究員として勤務することが決定したが、外国に単身で赴くことに不安を感じ、是非とも日本女性と結婚してうえで西ドイツへ赴任したいと考えていたところ、津田塾大学卒業生で組織している結婚相談所を介して、同年六月二九日見合いをして原告と知り合つた。原告と被告は、被告の西ドイツへの渡航期限が切迫していたため、十分な交際期間も経ず、互いに相手の気質や人となりを知る余裕もないまま、西ドイツへの渡航日程に合わせて同国の査証を取得するため、同年七月三〇日には取り敢えず婚姻の届出だけ済ませ、同年九月二五日結婚式を挙げ、同月三〇日二人は連れ立つて日本を発ち、ヨーロッパに向ったが、右両名の間に実質的な夫婦関係がもたれたのは、同月二九日以降のことである。

(四)  原告と被告との関係は、当初から円満を欠き諍いが多かつた。すなわち、見合いの後二人は程なく結婚の約束をし、被告は、両親に原告を紹介するため、広島県尾道市の郷里に同行するようにと原告に求めたところ、原告は女性の方から出向くのは立場が逆だと考えてこれに難色を示したのをはじめ(結局は、昭和四九年七月二七日から二九日にかけて、原、被告及び原告の母上村ハナの三名で広島に赴き、被告の両親に結婚の承諾を得た。)、原告の旅券手数料六〇〇〇円を原・被告のいずれが負担するかをめぐつて口論し、さらに、被告は西ドイツに赴いた後数か月間フライブルクでドイツ語研修を受けた後、アーヘン市の研究所へ赴任して研究活動に従事する予定にあつていたため、被告は、原告に対し、研究資料を一時原告の実家で保管し、被告らがフライブルクからアーヘンに移るころ、直接アーヘン宛必要な資料を郵送して欲しい旨依頼したところ、原告は当初これを断わるなど二人の間に口論が絶えなかつた。

(五)  原告と被告は、昭和四九年九月三〇日、日本を発つてヨーロッパに向かい、同年一〇月五日西ドイツフライブルク市に到着するまで、新婚旅行をかねて西ヨーロッパの各地をまわつたが、ロンドンでの最初の晩に、早くも、被告が原告をホテルに一人残して外出したことを契機として口論となり、興奮した原告は、その他の些細な事々を次々指摘して被告を攻撃し、被告も原告の気持を落ちつかせる術を知らず、ただこれに正面から応戦するのみであつた。

(六)  西ドイツ到着後、被告は、昭和五〇年一月までフライブルグ市で語学研修を受け、同年二月一日、原告と共にアーヘン市に転居し、同市所在の物理学研究所に着任した。

フライブルグにおいては、原告も語学研修を受講することができるように、予め被告が手配しておいたが、原告は、前記のとおり、大学院英文科修士課程を終了し、英語が堪能で英会話の教師をしていたことから、人を指導し、英会話を教授する立場の人間としての強い自負心を持つていて、ドイツ語を基礎から他人に教えてもらうことを嫌悪し、しかもその気持を自ら抑制することができず、言葉に出したため、そのことが二人の口論の種になつた。

また、原告は、昭和四九年八月ころ、渡航の準備に追われて多忙な被告に代わつて、その母親が尾道市内の百貨店で購入し、原告に贈つたダイヤモンドの婚約指輪について、これを偽物だと決めつけて被告を非難し、その上多くの知人にも言いふらして、被告とその母親を誹謗した。

(七)  アーヘンに移つてからも、原告と被告は些細な事で衝突をくり返した。特に、原告は、被告に対して、「あなたの書く論文はいつも同じ。」などと述べて、被告の研究者としての誇りを著しく傷つけたばかりか、被告の学問上の先輩、友人やその家族に対して、「夫の仕事がみつからず不安だ。」などと平気で述べ、被告の名誉を損ねた。しかも、被告が研究活動を続けて行く上で必要な学問上の知人との交際にも協力しなかつた。その上、アーヘンにおいて、外国人研究用のゲスト・ハウスに入居したが、同家は台所を他の一世帯と共用することになつていたところ、ユーゴスラビア人のヨセフォビッチ夫妻と共用の台所の後片づけに関して言い争いをしたのをはじめとして、ヨセフォビッチの退去後入居してきた同じくユーゴスラビア人のヤンカと、さらにヤンカの退去後入居してきたイラン人のダナイと次々衝突し、ダナイとの諍いの際には警察沙汰にまで発展したこともあるなど、原告は、隣人との衝突をくり返した。さらに、原告と被告は、結婚当初から当分の間子どもはもうけないことを合意していたが、避妊の方法をめぐつて争いが絶えず、昭和五〇年春、原告は妊娠してしまい、同年四月二九日中絶手術を受けてからは、二人は夫婦生活の面においてもますます円満を欠くようになつた。

(八)  他方、被告も、同年秋ころ、姉に出産祝として一万円を送る際、原告に何の相談もしなかつたなど、原告との関係を改善するために格別の努力をした形跡は何ら見出し難い。

(九)  原告と被告は、西ドイツ滞在中、昭和五〇年春ころ避妊の問題で口論となり、一時的な感情の激昂から離婚の合意をしたことがあり、また、昭和五一年七月には、アーヘンの研究所で研究員として勤務する旨の契約の期限が同年八月三一日に迫つてきたにもかかわらず、次の就職先が決まらないことから口論となり、友人の金子洋次郎をまじえて話し合つたうえ離婚の合意に達し、二人の預金を二分し六〇万円ずつ分配したこともあるが、離婚のための法的な手続を踏むまでには至らなかつた。

(一〇)  昭和五一年八月、アーヘンの研究所との契約が、同年一一月末まで延長されることがようやく決まり、同年秋にはカリフォルニア大学に講師として採用されることが決まると、原告も落ちつきを取り戻し、原被告間の婚姻関係は平穏を取り戻したかに見えたが、種々の手違いからアメリカ合衆国の査証を取得することが困難となり、カリフォルニア大学への就職が危うくなると、再び、原告は被告を罵倒し、二人の間に口論がくり返されるようになつた。そして、アメリカ合衆国の査証がなかなか取得できないため、一旦日本に帰ることとし、原告が同年一二月五日、被告が翌昭和五二年二月五日それぞれ帰国し、原告の肩書住所地の実家で共同生活を再び試みるに至つた。

(一一)  しかし、二人の間の性格の不一致からくる溝は益々深まる一方であつて、被告は、原告との結婚生活に絶望して真剣に離婚を考えるに至り、大学院の指導教授である藤山教授夫妻に相談したところ、昭和五二年三月四日から一五日にかけて、藤山教授夫妻を介して、原告と被告とは離婚の話し合いをした。すなわち、藤山教授夫人が原告方に一度赴き、更に二度電話をかけて原告に離婚を勧めたほか、藤山教授夫妻は、原告と被告を別々に自宅に招いて離婚を勧め、三月一五日には原、被告をそろつて自宅に招き話し合つたが、結局、協議離婚届を作成するまでには至らなかつた。

これより先同年三月一日、被告はようやくアメリカの査証を取得することができ、同月一八日には渡米することになつたので、右の通り、急いで、離婚の話を進める必要が生じ、藤山教授夫妻に仲介を依頼したが、これが失敗し、三月一七日には折から上京中の母山田幸子と共に原告の実家に赴いて協議離婚するよう申し入れたが、原告はこれに応ぜず、やむなく、被告は、原告との婚姻関係を清算できないまま、単身渡米した。以来、原、被告は今日に至るまで別居状態にある。

(一二)  渡米後被告は、原告に対し、手紙で協議離婚に同意するよう申し入れたが、原告は、それに対して、生活費を送らなければアメリカに赴く旨半ば強迫的な言辞で生活費の送金を要求するのみで話し合いは一向に進まなかつた。なお、被告は渡米後生活費の仕送りを一切していない。

(一三)被告は、同年九月末ころ、カルフォルニア州滞在期間が六か月を超え、カルフォルニア州の裁判所に訴訟を提起できるようになつたことを知り、訴訟手続に着手した。

(1) まず、寄宿先のアン・ランドルフに依頼して、召喚状、離婚申立書(訴状)、未記入の応答声明書を作成してもらい、しかもこれを同人から原告宛に郵送し、同年九月二八日、原告不在中に原告の母上村ハナがこれを受け取り、同日帰宅した原告に手交した。原告は、英語に堪能であり、右記離婚申立書等が英文であつたにもかかわらず、これを了知し、藤山教授に電話で被告がカルフォルニア州で離婚訴訟を提起したことを伝えるとともに、被告を非難し、また、前記ランドルフ宛に一〇月二一日付で手紙を書いて、離婚する意思がないことを通知した。

(2) 被告は、原告が右応答声明書を送り返さないので、手紙を送り、もし送り返さないと新聞に原告の名前が掲載されるなどと強迫的言辞で返送を迫るとともに、日本の郵便局に対し、右離婚申立書等を原告に配達した旨の証明書をすみやかに送付するよう求めたところ、同年一二月二〇日、二回に亘つて郵便局員は原告の実家に赴き、送達報告書(乙第三号証〔但し、日本語の翻訳文を除く〕)への署名を求め、原告はこれを拒否したが、その母ハナが上村の丸印を押捺した。

(3) カルフォルニア州の本件上級裁判所は、右送達報告書の提出を待つて、離婚訴訟の手続を進め、当該訴訟における被告(本件の原告)が欠席のまま、原告と被告とを離婚する旨の中間判決をなし、昭和五三年一月二五日、その旨を本件原告に通知した。

原告は、これに対し、同年一月二七日付の手紙で本件上級所判所宛離婚意思のないことを伝え、同月三一日付で折り返し同裁判所裁判官から、右中間判決の破棄を望むならば、カルフォルニア州の弁護士を依頼すること、もし知り合いの弁護士がいなければ同州弁護士会長に手紙で弁護士の紹介を依頼することを勧める手紙を受けとると、さらに、原告は同年二月七日付の手紙で重ねて本件上級裁判所の離婚判決に従う意思のないことを同裁判所裁判官宛申し送つたものの、カルフォルニア州法で定められた防禦の手段をとらなかつたため、同年四月二八日、本件離婚判決がなされるに至つた。そして五月四日その通知が原告宛に到着したが、判決文自体は送られて来なかつた。

(4) 右判決に基き、被告の母山田幸子は、昭和五三年九月二六日、広島県尾道市長に対し、離婚の届出を了え、戸籍上も、原告と被告とが離婚した旨の記載がなされている。

(一四)  被告は、昭和五三年春、西ドイツアーヘン市所在のヴェストファーレン州立工科大学アーヘン工科大学理論物理学教室に研究員として採用されることが決まり、同年中にカルフォニルアを発つて西ドイツアーヘン市に赴任し、現在まで、アーヘン市に在住している。他方、原告は、日本国内の実家に在住し、昭和五三年以降、二人には全く音信がなく、別居状態は昭和五二年三月から継続している。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

前記認定の婚姻関係の実体によれば、原告と被告とは、いずれも、高度の教育を受け、高い知性を有するにもかかわらず、互いに相手方の立場を理解しようとせず、自己の立場の正当性のみかたくなに固執して譲歩するところがなかつたため、原・被告間にはもはやおおい難い溝が生じており、原告は婚姻の継続を希望しているとはいうものの、原被告は、昭和五二年三月一八日以来既に三年以上もの期間別居状態を続けており、しかも昭和五三年四月二八日には被告の申立により離婚判決がカルフォルニア州の本件上級裁判所によりなされ、被告の離婚意思が極めて強固であることを考えると、ことここに至つては、原告の信念にもかかわらず、原被告の婚姻は破綻し、もはや婚姻の名に値する関係の回復は期待できないものというべきである。

よつて、被告の離婚請求は理由がある。

三以上のとおり、原告の本訴請求、被告の予備的反訴請求は、いずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(牧山市治 押切瞳 池田光宏)

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